Kindle作家九頭龍一鬼(くずりゅうかずき)の人生と意見

自著の紹介やそのほかいろいろをおとどけする予定です。

あなたは核のボタンをおすだろうか~ある悪夢の記録

 今日、悪夢をみた。

 これは、その悪夢の記録である。

 まず読者諸賢にことわっておきたいことは、愚生は長年の反核派であることである。

 つまり、この悪夢のなかでの『判断』は、『夢』のなかで、根源的な慾望に抑止がきかなかっただけなのかもしれないということ、また、フロイト的にみて、此処における核兵器が、性的な意味しかもたないかもしれないということだ。

 一応、本エッセイを執筆した理由は後述するが、そもそも、この『夢』にそれほどの『意味』があるのかさえ峻別できない。

 ただ、この悪夢から目覚めたのち、この『夢』はなんらかのかたちで記録しておくべきだ、という、つまらない使命感が鬱勃となっただけである。

 のみならず、もしかしたら、読者諸賢の一部だけにでも、なんらかの意味をもつものであるかもしれないと考覈し、今回、本エッセイ集にくわえることとした。

 本エッセイには、戦争の描写、政治的な描写があるので、『閲覧注意』であることをお断りしておく。

    ◇

 こんな夢をみた。

 燦爛たる蒼穹のもと、わが国の首相が演説をしている。

 輓近、国民投票によって核兵器保有国となったわが国の首相のかたわらには、アタッシェケース型の『核のボタン』を掌握した扈従が彳亍している。

 然様な状況のなか、首相の演説を傾聴していた巨万の群衆の携帯電話に緊急速報が這入る。

 なぜか愚生は愛用のスマートフォンをもっておらず、他人の携帯電話の画面を窃視する。

 某国(これは本統にどこの国かわからない)の海軍の軍艦が、大編隊をなして、瀲灔たる太平洋沖から、わが国の首都へと総攻撃をなさんとしているという。

 おそらく、喫緊の対応をせまられたらしい首相は、造次顛沛もなく、専用車輌にのって首相官邸へと疾駆してゆく。

(現実にはありえないことだが)この混乱のなかで、政府関係者の幾許かが演説会場にとりのこされ、其処には『核のボタン』を掲撕したひとりの扈従もふくまれていた。

 つまり、『敵国の艦隊に核攻撃するかどうかの決断が、其処にいた一般市民たちにゆだねられた』のである。

 無論、ほとんどの黎民たちは核攻撃に反対する。

 然様な状況のなかで、愚生は獅子吼する。

 いわく「たしかに核攻撃すれば、某国の軍隊に大量の死者がでるでしょう。ですが、ここで核攻撃しなければ、それ以上の数の被害者がわが国にでます。のみならず、われわれの国家同士が戦争状態におちいれば、本格的な核戦争になる可能性さえあります。この『最初の一撃』でこれらの被害が阻止できるのならば、いま『攻撃すべきです』」と。

(目覚めてからかんがえたが、この理窟はとおらない。TFT戦略といって、おたがいの国家がほぼ同量の核兵器保有する、いわゆるランチェスターの法則にのっとった軍事力であった場合、かならず、『核兵器で先制攻撃したほうが敗北する』というのが常識である。ゆえに、核兵器は『先制攻撃につかえない』のであり、これがいわゆる『核の抑止力』となる)

 巨万の黎民が喧喧囂囂侃侃諤諤とするなか、愚生は蹶起し、『核のボタン』をおす。

 隣人の携帯電話の画面には、空中で核弾頭が炸裂し、プルトニウム核分裂による焱燚たる火炎の団塊が艦隊をのみこみ、艦隊ごと軍人らの肉体が溶解してゆき、きのこ雲が聳立する一伍一什がうつされている。

(きのこ雲は、核兵器や水爆などが炸裂した爾時、強烈なる衝撃で、爆心地に真空地帯が発生したうえで、真空が大量の瓦礫をのみこむことで誕生する。ゆえに、海上核兵器が炸裂した場合、きのこ雲ができるかは不明である)

 斯様にして、戦争は壅塞阻止され、愚生は救国の英雄となる。

 爾来、愚生は各地で、あるいは絶讃され、あるいは皮肉をいわれた。

 斯様な状況で、政府機関に招聘された愚生は、防衛大臣とお会いする。

 大臣はいう。

「わが国をお守りくださりありがとうございます。あなたの御蔭で巨億の無辜の生命がたすかりました。失礼ながら、あなたの身辺調査をさせてもらいましたが、あなたがこんなに給料のひくい労働者だとはおもいませんでした。今回、宮内庁の決定で、あなたへの褒章および賞金の授与が決定いたしました。これで、生活も楽になるでしょう」と。

 愚生はいう。

「いいえ。お金はいりませんし、ぼくはもっと給料をやすくしてもらうべきです。なぜなら、『ぼくは大量殺人鬼だからです』」

 ここで目がさめる。

    ◇

 所詮は『夢』の出来事なので、斯様に整理すると、支離滅裂で荒唐無稽におもえるが、無論、夢のなかの愚生は、これが『現実』だとおもっていたし、『本気』でこの状況に対応していた。

 つまり、愚生は此処で、真摯なる道徳的、あるいは政治的判断をせまられ、本心から道徳的、あるいは政治的な判断を『した』のである。

 前述のとおり、愚生は基本的に反核派である。

 斯様な愚生でも『核のボタン』をおすべきか、おさざるべきかの状況で、ボタンを『おした』のだ。

 この『核兵器にたいする人間の心理の変化』の証左として、今回、めずらしく、夢日記を本エッセイ集に掲載することにした。

 愚生は、あえて、この問題に決着をつけようとはおもわない。

 ただ、道徳的、あるいは政治的な判断を、翼の左右を問わず、読者諸賢にゆだねたいと存ずる。

 つまり、『あなたもおなじ状況にたたされたら、ボタンをおすだろうか』ということである。

 このエッセイが、わが国が核兵器保有すべきか如何かという問題の一助となればよいと存ずる。

 本エッセイを劉覧されて、気分を害された読者がいらっしゃれば、まことにもうしわけない。