Kindle作家九頭龍一鬼(くずりゅうかずき)の人生と意見

自著の紹介やそのほかいろいろをおとどけする予定です。

夢と言語と無意識~『引き寄せの法則』から爆走する犬まで

 前回、手相を話題にしたので、スピリチュアル関聯で『引き寄せの法則』について書いてみたいとおもった。愚生は『引き寄せの法則』については懐疑的なのだが、一冊だけ、法則の科學的論拠を提示している書籍があったので、当仮説の検証をしようとおもったのだ。『引き寄せの法則』とは、ねがいごとを文字にすると実現する、というものだが、仮説によると、『左脳で文章を認識し、右脳の無意識に浸透させることで、自動的にねがった人生へとすすんでゆく』ということであった。其処で、言語と無意識について考覈していたら、『引き寄せの法則』そのものより、此方のほうに関心をいだいてしまったのである。

 というわけで、言語と無意識から『夢』にまで敷衍してかんがえてみたい。

 まずは、ラカンについてである。ラカンによると、われわれの無意識は言語(厳密には単語)で満たされている。ゆゑに、無意識の表出としての夢は、『無意識内の単語を聯想してゆくかたちでイメージ化』しているのだという。其処で、『家』や『地震』は視覚的にイメージ化できるが、『そして』や『しかし』などの接続詞はイメージにならないので、『夢は物語として支離滅裂になる』わけである。

 斯様にかんがえると、ラカンの私淑したフロイトの理論も説明できる。フロイトによると、『統合失調症患者は奇妙な夢をみる』という。そもそも、統合失調症とは『聯想が分裂する症状』として表出する(ゆゑに、元来『精神分裂病』と呼称されていたが、これでは、解離性人格障害=多重人格と勘違いするかたがおおく、問題があった)ので、『単語の聯想ゲーム』である夢が『奇妙になる』ことが、ラカンによって理解できるのである。

 なのに、である。ラカンは躬自らの理論により、師匠のフロイトの理窟を盤石とせしめることはしなかった。ラカン精神分析学の基本は、『人間のこころは言語によってまもられて』いるがゆゑに、『言語のかべをやぶって、直截世界にふれた』ときに人間は発狂する=統合失調症を発症する、というものであった。其処からの帰結なのだろうが、ラカンによると『統合失調症患者は夢をみない』とされる。統合失調症当事者としていわせてもらうと、『統合失調症を発症しても夢はみる』ものだ。実際に、陽性症状を発症して閉鎖病棟に入院した爾時にみた夢を、愚生はいまでもおぼえている。(ちなみに、入院一日目は『担当医師が病室にやってきてメモをみせてかえってゆく』という無意味なものであった)

 そのほか、ラカン精神分析学の論文には、おおくの数式が挿入されていることで有名だが、這般の数式も、数学的に検証すると、出鱈目なものがほとんどだそうだ。また、ラカン関聯の書籍には『われわれは他者の夢を生きている』というくだりがよく引用されるが、これも、ユングシンクロニシティーなどと同様、いささか、胡散臭い。矢張り、夢や無意識の研鑽では、フロイトの右にでるものは存在せず、無意識の研究はとりあえず、フロイトで完成されているといってよい。(名著『快感原則の彼岸』あたりも、三分の一程度は先駆する心理学者の論文からの引用でなりたっており、畢竟、フロイトは精神医学の嚆矢というよりも、集大成した俊乂なのである)

 が、愚生としては、『無意識が言語でなりたっている』というラカンの主張だけは偉大な発見だと存じあげる。これにより、前述の夢の理窟が解明できるし、さらに遡及して、くだんの『引き寄せの法則』も説明できるのである。といえども、ならば、睡眠中に爆走をはじめる犬などは、あきらかに夢をみているはずだが、犬の無意識も言語でみたされているのか、という疑問などはのこる。『わん、わわん、ぐう』という言語が『猫においかかけられて爆走する』という夢になるのだろうか。

     ◇

 夢と言語と無意識について書いてきたが、最後にちょっとした雑学を披露しておきたい。夢をえがいた文豪として、日本では夏目漱石筒井康隆が有名だが、海外におけるボルヘスの『夢への熱中度』はかれらに冠絶していた。記憶が曖昧なのでもうしわけないが、ボルヘスの随筆集『続審問』のなかで、『時間をこえておなじ夢をみた人間』のはなしがでてきたはずだ。ボルヘスの蒐集した文献によると、十三世紀の蒙古人が某日『巨大な宮殿を建設しはじめる』夢をみた。それから五百年ほど閲した十八世紀の英吉利の詩人が『巨大な宮殿を完成させる』夢をみた。畢竟、『五百年の歴史を閲して、ふたりの人間がひとつの夢をみた』記録をボルヘスは発見したのである。

 愚生は、恁麼のくだりを読んで、たいへん、知的な興奮をおぼえたが、よくかんがえればおかしなはなしである。たとえば、曩時、怪異学者の井上円了が、『どうして人間は正夢をみるのか』という問題を呆気なく解明したことがあった。畢竟、当時の『日本には数千万人の国民がいて、毎日、数千万もの夢がみられているがゆゑに、そのうちのいくつかが、未来におこる現実と類似していてもおかしくはない』ということであり、『たんなる確率論』だというのだ。

 ボルヘスの『巨大な宮殿』のはなしは、『正夢』についての円了の分析とおなじ見方ができるわけで、結句、『確率論』なのである。五百年というスパンで巨億の人類が夢をみていたら、いくつかの夢は『つながっていてもおかしくはない』のだ。といえども、斯様な文献に逢着するまでのボルヘスの情熱には敬意を表さずにはいられない。

手相考~うらないの科學的論拠

 輓近、愚生は煙草の喫いすぎのためか、脳髄が朦朧としており、まともに小説を書ける状態ではなくなってきている。煙草のせいというよりは、加齢による影響のほうがおおきいかもしれない。人間の知能指数は二十四歳をピークとして偏差が修正され、漸次、平均値が低下してゆくという。また、夢枕獏氏は『二十代までは想像で小説が書けたが、三十代になると元ネタが必要になってきた』というように仰有っていたはずである。そもそも、愚生はこの文章もまともに書けている自信がない。

 本随筆集は文學談義を中心にしてゆこうと発軔したものだが、無論、生きていればさまざまなことをかんがえる。其処で、愚生の趣味である卜占について、すこし物語ってみたい。

 今回は手相についてである。手相にかぎらず、一般のかたは『うらないは信じるときもあるけれど、そもそも、なんの根拠があるの』とおもわれているのではないか。今回、手相をとりあげたのは、その説明がしやすいからである。そう、愚生は『卜占の根拠』を此処に説明せんとしているのだ。破家げている。

 卜占、なかんずく、手相の根拠としてあげるのは、愚生の小説群でもおなじみの量子力学である。『量子論で説明するのならば、波動関数プランク秒単位でブラベクトルとケットベクトルに聚斂するので、卜占のみならず、未来を豫測することは不可能ではないか』と批判されるかもしれない。たしかに、量子力学の世界では、マルチバース論が基本であり、宇宙はつねに分岐しているのだから、未来が『どちらの宇宙に分岐するか』は原理的に豫測しえない。(余談だが、よくSFで過去へとタイムスリップすると、現実の歴史が改変されるので問題がある、というくだりがでてくるが、これも、『人間というマクロな系が過去にタイムスリップしたら、その宇宙全軆の波動関数はおおきく別のベクトルに聚斂する』とかんがえれば、斯様なパラドックスがおきないことは容易に理解できる)

 ゆゑにこそ手相なのである。うらないマニアのかたは御存知のように、四柱推命紫微斗数は誕生日時によって不変だが、『手相は毎日かわっている』のだ。面倒なので、此処で結論らしきものを書くが、『手相はEPRパラドックスによって未来で観測された情報が光速をこえて過去にあらわれた証ではないか』というのが愚生の仮説である。

 アインシュタインが生涯、量子論を信憑しなかったことは有名である。論拠として、氏は『量子論がただしければ、ふたつに分割した量子間の情報は光速をこえて伝播されることになる。これは相対性理論に反する』と主張した。其処で、『EPR実験(だったっけ?)』という名目で現実に光速をこえる概念は存在しないことを証明しようとしたが、結果、『情報は光速をこえてつたわる』ことを躬自ら証明してしまった。これが有名なEPRパラドックスである。

 此処で手相のはなしだ。相対性理論によると、光速をこえて移動する概念は過去へもどるはずである(この前提が間違っていたら、愚生の記憶ちがいなのですみません)。畢竟、未来の情報はすべて過去へと伝播されている、というのが愚生の理窟である。EPR実験では、同時刻におけるふたつの量子間の情報のやりとりがなされたが、相対性理論の時空連続体仮説によって、時空は同一のものなので、同時刻でなくても、きょうだい同士の量子間では情報のやりとりがなされているはずである。ゆゑに、未来の愚生の物理的な情報が、光速をこえて、過去の愚生の物理的な情報としてあらわれたのが、愚生の『手相』なのではないか、ということである。これならば、未来の宇宙が分岐しても、その都度、手相がかわってゆくという理窟で納得できる。

    ◇

 已上、愚生のかんがえた理論を披瀝させていただいた。無論、愚生は物理学の博士号をもっているわけでもないので、すべては、ただの戯言=イッツ・オンリー・トークである。

 此処で、手相についてもうひとつ書いておきたいことがある。これは物理学とは関係なく、純粋に手相の理論についてのはなしなので、気楽に劉覧していただきたい。

 よく、『左手は過去の運勢で、右手は未来の運勢である』といわれる。が、愚生は曩時より納得がいっていなかった。左手が過去の運勢ならば、流年法で読める過去の手相までも『変化』するのはおかしいではないか。其処で、御名前は失念したが、某有名手相占い師のマニュアルを閲覧していたところ、『左手は精神的なもので、右手は物理的なもの』という記述がみつかった。畢竟、『左手は自分がそのときどうおもったか』であり、『右手は他人からどうおもわれたか』という読み方ができるのである。愚生が星新一賞で最終候補にのこった三十四歳の爾時を生命線の流年でみると、左手にはながい向上線があらわれているが、右手にはごくみじかい向上線しかでていない。これは、『愚生ははじめて最終候補にのこったので、たいへんうれしかったが、最終的には受賞にいたらなかったので、他人からは大成功とはおもわれなかった』と読める。よく、『左手の運勢はよいけれど右手はわるいから、未来はわるいんだ』となやむかたがいらっしゃるとおもうが、斯様にかんがえれば、問題ないのだ。

現代の人気作家を採点する~「現代版文壇諸家価値調査表」

 直木賞で有名なる直木三十五は、「文藝春秋」一九二四年一一月号にて、「文壇諸家価値調査表」なる企画を断行した。
 芥川龍之介泉鏡花川端康成谷崎潤一郎など、爾時の人気作家を、学殖(学力、知識)、天分(資質、才能)、修養(人格)、度胸、風采(容姿)、人気、資産、腕力、性慾、好きな異性、未来といった項目をもうけ、各百点満点で採点したのである。

 たとえば、芥川龍之介は、
学殖 96
天分 96
修養 98
度胸 62
風采 90
人気 80
未来 97

 亦、泉鏡花は、
学殖 38
天分 99
修養 65
度胸 10
風采 62
人気 70
未来 80
 とされている。

 読者には大好評だったが、一部の人間からは大変な顰蹙をかった。
 今東光などの著書で、存在は認識していたが、今回、書籍『文豪どうかしてる逸話集』のなかで現物を劉覧する機会があり、現在の読者にも興味がもてるとおもい、無名のアマチュア作家の悪巫山戯として、『現代版』を制作したいとおもった。と雖も、愚生は純文學中心に読書しているので、品隲した作家諸賢は基本的に純文學界隈限定である。

 採点項目は、

学殖(学力、知識)
天分(資質、才能)
修養(人格)
度胸
風采(容姿)
人気 
未来

 各百点満点(例外あり)とし、資産、腕力、性慾、好きな異性については、情報蒐集の方法がないうえに、いちじるしく主観に倚藉するので排斥した。亦、「文藝春秋」のような雑誌と相違し、紙幅に制限がないため、点数のみならず、幾許かの採点に関聯しては、個人的なコメントも添付させていただいた。

 所詮、無名の一アマチュア作家の児戯のようなものなので、直木三十五の場合のような影響力は皆無かとおもわれますが、各作家のファンを肇始として、炎上するようでしたら削除も考覈しております。たんなるアマチュア作家の戯言として御容赦ください。

     ◇

大江健三郎

学殖 98(ブレイクを劈頭とする世界文學の知識のほか、意想外に日本史全般にあかるい)
天分 98(ガルシア=マルケスは『落葉』が最高傑作だと看破したが、氏自身も初期が一番かがやいていた)
修養 100(息子さんの介護についての随筆にはいつも感動させられる)
度胸 99(「政治少年死す」を最新の全集で復活させたことはすごい)
風采 75
人気 89
未来 100(小谷野敦が、輓近の作品をもって夏目漱石を凌駕したというようにいっていたはず)


小谷野敦

学殖 99
天分 95(いや、評論のみならず、小説のほうも滅茶苦茶面白いです)
修養 50
度胸 50(禁煙ファシズムと闘っていたころは100だったが禁煙したらしいので半減)
風采 85(もてないと自虐しているが、けっして醜男ではない)
人気 65(小説家としてもっと評価されてもよいのでは)
未来 75(死後再評価される可能性がある)


島田雅彦

学殖 90
天分 91
修養 98(胡散臭い存在としか見做せない左翼という立場を固持している真面目さはすごい、とか右翼の福田和也に絶賛された)
度胸 90
風采 100(イケメンは往々にして歳をとらないらしい)
人気 85
未来 80


笙野頼子

学殖 85
天分 120(自他ともに藤枝静男の系譜と見做しているが、最早、完全に独自の文學世界を構築している)
修養 100(これこそ真のフェミニズム田嶋陽子程度をフェミニストと揶揄するものは笙野頼子にひれふせ)
度胸 100
風采 70(醜女であることを自虐しているが、福田和也のいうように被害妄想ではないか)
人気 77
未来 87


高橋源一郎

学殖 90
天分 100(文學というものを理論ではなく感性で構築できる、意外と数少ない天才。現代詩からの影響であるとよく指摘される)
修養 85(不道徳的なようにみえて、実際はだれよりも道徳的な作風をしている)
度胸 95(暢気気儘な風丰に似合わず、つねに過激な作品に挑戦している)
風采 90(イケメンではないが、もてる顔貌をしているとおもう)
人気 90
未来 98


筒井康隆

学殖 98
天分 100
修養 0
度胸 95
風采 87(醜男ゆゑに俳優になれなかったとよく発言しているが、そんなに醜男ではない)
人気 99(一部の読者から偏執的に厭悪されているので100ではない)
未来 98


中原昌也

学殖 75
天分 98
修養 100(混雑した店内で、老婆のために席を立つくらいの好青年だという。作風と真逆である)
度胸 98(芥川賞候補になることの許否をたずねる手紙に、「バカ」と書いて返信しようとしたという)
風采 78
人気 75
未来 85(日本文學では稀有なるアンチ・ロマンの作者として文学史に名前をのこすかもしれない)


西村賢太

学殖 85(一般的な教養全般については不明だが、古風な日本語の知識の豊饒さには瞠目せしめられる)
天分 80
修養 0
度胸 100
風采 75
人気 80(最近の芥川賞作家のなかでは可也健闘しているようだ)
未来 80


平野啓一郎

学殖 100(基督教異端神学から精神分析学まで他分野への造詣のふかさは異常である)
天分 80
修養 90
度胸 120(矢張りデビュー当時の毀誉褒貶は氏の度胸を証明している)
風采 70
人気 85
未来 90


保坂和志

学殖 95(現代思想を肇始として人文科學全般にあかるいが、這般の知識を自由自在にあつかう地頭のよさが目立つ)
天分 95(一読して独創的な文軆からして、才人といわざるをえない)
修養 95
度胸 80
風采 80
人気 80
未来 85


松浦寿輝

学殖 99
天分 98(圧倒的なインテリゲンチャながらも、文學者としての感性の豊饒さにこそ瞠目させられる)
修養 90
度胸 50
風采 76
人気 70
未来 88


舞城王太郎

学殖 90
天分 100(アヴァンギャルドな作風で人気だが、裏側に圧倒的なる文學理論の知識がかくれているのは明鬯である)
修養 ?(覆面作家なので、人格面はなぞである)
度胸 100(三島賞授賞式に出席せず、選考委員を憤怒させた)
風采 ?(覆面作家なので)
人気 85
未来 90


丸山健二

学殖 高学歴ではないが、自然科學、人文科學、現代美術などについて、さりげなく博覧強記なところをみせる
天分 よい意味でも悪い意味でも天才。ぶっとんでいて『トンデモ純文学』(中原昌也)ともいわれる
修養 よく女性差別者だと批判されるが、社会人時代に邂逅した奥さんを一途なほど大事にしているようだ
度胸 ありすぎて神をも懼れぬ(無神論者だが輪廻転生は信じているらしい)
風采 怖い(毎朝スキンヘッドにすると執筆に集中できるという)
人気 愚生をふくめ、一部の読者から熱狂的に崇拝されている
未来 ∞(おそらく死後永遠に忘却されるか、百年後に日本最高峰の文豪とされているはず)


村上春樹

学殖 78
天分 80
修養 90
度胸 98(批判されたら、其処を縮小させるのではなく、増幅させるのだといっていたはず。これが人気の秘訣か)
風采 85
人気 250
未来 100


村上龍

学殖 91(元来怜悧なほうではないのだろうが、一作一作の完成度向上のための勉強をまったく厭わない)
天分 85(「限りなく透明に近いブルー」をもって日本文學は終焉した、という評論を瞥見した記憶がある)
修養 50
度胸 85(不真面目なようにみえて生真面目である)
風采 80
人気 100
未来 95


綿矢りさ

学殖 56
天分 85(傑作もあることは否めないが、なかには担当出版社の倫理観を疑弐せざるをえないほどの失敗作もある)
修養 80
度胸 75
風采 100(中年になったが美人である)
人気 85
未来 79(紫式部清少納言樋口一葉、などと比肩できるだろうか)

     ◇

 採点を終えて――
 純文學系の人気小説家を採点するという企画だったが、執筆していて喫驚したのが、人気作家として臚列できるほどの作家が二十人程度しか存在しなかったことである。採点まえは、百人もいたら採点できるだろうか、などとおもっていたが、悪い意味で杞憂におわった。無論、辻仁成柳美里宮本輝石原慎太郎などの採点も考覈したが、如何せん、愚生はあまり熱心な読者ではないので、今回は諦念した。彼等を包裹しても三十人におよばないだろう。現代の純文學文壇が如何に狭隘かに気付かされる結果となった。個人的にカクヨムで活動していると、アマチュア作家にも天才的な逸材がおおくかくれていることがわかる。現代文壇がもっと刮目すれば純文學界を豊饒とできるほどの作家がさらに見付かるのではないか。未来の文學界の発展をいのります。

『地下室の手記』再読~バフチンの傍証として

 現在、バフチンの名著『ドストエフスキー詩学』を読んでおり、バフチンの怜悧さに驚嘆しながらも、『本統に此処まで上手くドストエフスキーを理論化できるのだろうか』という疑問に憑依された。
 現在、読んでいるかぎりにおいて、『ドストエフスキー詩学』を簡略に整理整頓すると、『登場人物たちが重なり合わない状態で対話をつづける』畢竟『ポリフォニー』と、『地位や年齢などを凌駕した対話を可能にさせる渾沌の状態』畢竟『カーニバル』がドストエフスキー文學の特徴であるというのである。バフチンによれば、このポリフォニーとカーニバルを純粋な意味で実現しているのは(二十世紀前葉、バフチンの時代において)ドストエフスキーひとりであり、ダンテやシェイクスピアが肉薄するが、その完璧さにおいて、ドストエフスキーこそが人類史上最大の作家だというのだ。
 バフチンは論拠として、『トルストイのえがく人物は善人でも悪人でも完成されており、トルストイの意嚮にそって行動するだけ』であるのにたいして、『ドストエフスキーのえがく人物は未完成であり、つねに対話をとおして、ドストエフスキーという人格を凌駕した群像劇をつくりあげている』こと(これはさらに、『人間は死ぬまで完成されない存在であるがゆゑに、ドストエフスキーの描写のほうが写実的である』というようなサルトル的な論拠までしめされる)などを列挙している。
 バフチンは、所謂『五大長篇』および、そのほかの小品を引用して論述してゆくのだが、『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『地下室の手記』でしかドストエフスキーを識らない愚生としては、バフチンに圧倒されるとともに、溜飲のさがらないところもあった。
 其処で、小品として『地下室の手記』を再読し、バフチンの理論が何処までただしいか浮彫にしてみようとおもった。愚生は速読の癖があるので、誤謬もあるかもしれないが、再読して喫驚したのは、『本統にバフチンのいうとおりだ、バフチンすげえ』ということである。以下、如何程、バフチンの理窟が精緻かを、『地下室の手記』の各箇所をふりかえりながら検証してみたい。

 『地下室の男』の最大の苦悩は『自分がなにものでもない』畢竟『永遠に未完成である』ことである。(亦『賢い人間がなにものかになれるわけがない。なにものかになるのは愚鈍な人間だけだ』というように、『地下室の男』にとって、なにものでもないことは、苦悩であり矜持であるという両面性をもつようでもあるが、重要なのは、『地下室の男』は『愚鈍な人間』になることをも羨望しているきらいがあるところである)バフチンも引用しているが、『本統になにもしていない』のであって、『怠け者とでも呼ばれたらどれだけうれしいか』というように書いている。亦、中途、厭味な人物に『蠅ともおもわれなかった』という記述があり、愚生なりに解釈すれば、『地下室の男』は『蠅とでもおもわれればどれだけうれしいか』というくらいに自我同一性の未完成さ(現実の我々人類の問題でもある。余談だが反フロイト派のドゥルーズガタリは人間の自我同一性を否定している)に苦悩しているのだ。

バフチンは『罪と罰』の冒頭でラスコーリニコフが胸臆で自問自答する箇所を引用し、『ひとりの登場人物のなかの対話もポリフォニー』であるとし、ラスコーリニコフの内心の対話が、のちのソーニャとの対話を中心として、『罪と罰』全軆の群像劇を予告しているという。『地下室の男』も、冒頭から『諸君』と対話しながらも、『諸君』は男の創作した架空の人物だと闡明している。まさに、ラスコーリニコフにおける自問自答の原型である。

 バフチンが指摘していないので、これは愚生の愚論にすぎないが、前半、『地下室の男』は『おおくの苦悩を抱えているので諸君に解決してほしいのだ』というように執筆していて、これこそがドストエフスキー文學の骨骼ではないかと考覈する。畢竟、『ドストエフスキー文學とは、ドストエフスキーのなかのポリフォニーの解決を、読者に嘱望している』のではないか。

 中盤、旧友たちに為人を蹂躙されて論争する場面があるが、此処は登場人物のおおさはともかく、対話というよりは子供の諠譁のようなもので、カーニバルだがポリフォニーではない。翩翻として、後半、娼婦リーザとの対話は、一対一、ふたりきりの議論だが、ふたりの人格の対比が見事に台詞に活きており、れっきとしたポリフォニーになっている。この対話が大人数でおこなわれれば、『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』になるはずである。

 地下室を主人公の精神状態の隠喩だとすれば、ラスコーリニコフカラマーゾフ兄弟も、其其のこころを地下室に閉じ込めており、『地下室からの聲』で対話しているといえる。ゆゑに『地下室の男』こそ、嚮後のドストエフスキーのつくりだす登場人物の原型ではないだろうか。ジッドも『地下室の手記』こそ、五大長篇を中心とする後期ドストエフスキー文學の『鍵』だといっていたようだ(ジッドの時代からして、ジッドもバフチンを劉覧したうえで、『地下室の手記』を再読した可能性もある)。極論すれば、ドストエフスキー文學は『地下室の物語』だったのである。

 ドストエフスキーの処女作『貧しき人びと』の冒頭に、オドエフスキー公爵なる人物の評論が引用されている。ドストエフスキー文學全般を象徴するテクストなので、これを最後に孫引きしたい。

『いやはや、世間の小説家たちときたら、困ったものだ! なにか有益な、気持のいい、心を楽しませるようなものを書くどころか、ただもう地下の秘密を洗いざらいほじくりだすばかりではないか!(後略)』

文學は死んだのか。~『文學は死んだ』は死んだ

 サブカルチャー評論界を中枢として、『文學は死んだ』というような論評がよくなされる。文學はもう売れないから駄目だ(抑〻だが、芥川の時代から『羅生門』が二〇〇〇部売れてベストセラーだった)とか、文學はもうこころに響かないから駄目だとか、いろいろいわれている。本統に文學は死んだのか。残念ながら、斯様なことをいわれずとも、我々は『文學が死んでいることなんてとっくのむかしにわかっている』のである。

 ニーチェが『神は死んだ』といいフーコーが『人間は死んだ』といったことで、神や人間が死んだわけではない。ニーチェフーコーが歴史に登場するよりも曩時から、神や人間は死んでいたのである(余談だが、愚生はそれでも神秘主義的有神論者である)。文學において、これにあたる『死亡宣告』は、ソローキンの『ロマンは死んだ』(『ロマン』)であろうとおもわれる。何某というまでもなく、此処における『ロマン』は『長編小説』と英訳されることから『文學』そのものであると指摘されているのは有名である。読者諸賢のなかには、ブランショの『文学空間』こそが『文學の死亡通知』であるとか、ボルヘスの『伝奇集』序文が文學の死を標榜しているのだとか仰有るかたもいらっしゃるであろうが、這般のテクストも『ロマン』と同等であり、『神』や『人間』と同様に、『彼等が指摘する以前に文學は死んでいた』のである。生前、丸谷才一が『だれでもわかっていることを最初にいったものが歴史にのこるんだ。ニーチェは勿論、フロイトもあやしいね』というように主張していたはずだが、これとおなじことだ。

 問題は、『文學は死んでいるか』ではなく――最早『死亡宣告』はなされているのである――『文學の屍体を如何に解剖するか』である。此処において、役立つ批評は沢山存在するだろうが、個人的に、あまり評論は讀まないので、有名なところでロラン・バルトの「作者の死」をあげておく。ロラン・バルトの未読者には注意していただきたいが、現在『物語の構造分析』に収録されている「作者の死」というみじかい論文を讀むには、まず『零度のエクリチュール』を読了しておかなければならない。意地悪なバルトは、「作者の死」のなかで、なんら説明もなく『つまりエクリチュールが云云』といいだすからである。

 「作者の死」という惹句的な題名と短文であることとはうらはらに、この論文は非常に機知にとんでいる。一言でいえば『エクリチュールは無限の循環をなすのであるがゆゑに、作品を解読することは不可能であって、からみあったエクリチュールを永遠に解きほぐしてゆくしかない』のである。此処で『零度のエクリチュール 新版』を参考に、愚生なりに整理すると、『言語という縦軸と文軆という横軸におけるもうひとつの軸がエクリチュールで』あり『エクリチュールは歴史に縛られて』おり『文學とはエクリチュールである』ことになる。重要なことは、『ロラン・バルト自身がエクリチュールとはなにかよくわかっていねえ』ことである。『零度のエクリチュール 新版』の解説において、『バルトは最初、エクリチュールを文軆と同義で構想しており、最終的には文學そのものとかんがえた』というように非常にわかりやすく説明されている。

 バルトによって『作品の解読が不可能』といわれるとき、いうまでもない問題として、『作品を解読する批評家の地位も簒奪される』ことになる(批評家であるバルト自身は此処で『ゆらぐ』という曖昧な表現をしているが、現実には『うばわれる』といってもよいだろう)。これはいささか厄介な問題であって、『創作が不可能であるがゆゑに批評が不可能』ならば『文學は死んでいる』という『批評も不可能』になる。バルトが『文學の死』とはいわずに『作者の死』という爾時、『文學は生きているが無限に解読不能エクリチュールとして現前している』というニュアンスがふくまれるであろう。ただし、『生けるしかばね』としてである。バルトはさらに『作者は死んだ』という文脈で『読者も死んだ』とも指摘している。

 『神は死んだ』『人間は死んだ』というときの神や人間とは、ヘーゲルの言葉を拝借すると『ツァイトガイスト時代精神』である。この『時代』において、個人は画一的に定義されるわけではない。ニーチェがなんというと、敬虔な基督教徒諸賢は『神は生きている』というであろうし、フーコーがなんといおうと、原理主義的なヒューマニストは『人間は生きている』というであろう。といえども、文學の死はさらに悲惨な問題である。ヘーゲルのいう『時代精神』を『歴史』と類義語とすれば、バルトは『現代文學は現代にとりのこされているがゆゑに傑作は不可能だ』というような文脈を展開する。畢竟、エクリチュール(というよくわからないもの)は、個人の問題ではなくて、歴史の問題であるがゆゑに、『傑作は不可能』なわけだ。

 『問題は、『文學は死んでいるか』ではなく『文學の屍体を如何に解剖するか』である』と前述したが、文學の屍体を解剖してどうなるのか。あとは荘厳なる文學の葬殮をもよおすことであろうか。我々書き手はいまでも如何様にも小説を執筆できる。ただし、それは紫式部が『源氏物語』を揮毫したようにではなく、ピエール・メナールが『ドン・キホーテ』を執筆したようにであるかもしれない。ソローキンのいう『死んだロマン』とは、『十九世紀露西亜文學』であると指摘されるが、ソローキンは『ロマン』を上梓したのち、二十世紀のジョイス的――古典的――前衛文學へと転向した。ボルヘスは近現代文學の地平線のむこうがわへと翺翔し、『文學が死んだのちの文學』を多数発表したが、ボルヘスがのこしたのは、愚生をふくめ、ボルヘスの――良心的な――エピゴーネンであった。ラ・ロシュフコーのいうように、『すぐれた模倣とは、原典の欠点を誇張する模倣』である。

 本来ならば、『文學は生きている』という論旨を展開したかったのだが、近現代世界文學史を俯瞰すると、最初から『文學は死んでいる』としか主張できなかった。無論、大塚英志と死闘した笙野頼子のように文學を擁護する立場もある。就中、愚生の尊敬する丸山健二が『死んだのは文學もどきであって文學ではない』と断言し『真文學』をもとめて書きつづけていることは冀望である。愚生のこの駄文に続篇が書かれるのならば、『文學もどきではなく、我々が書くべき真文學とはなにか』を真摯に考覈してみたいとおもっている。生前、小林秀雄は『ピカソはまがいものである』というように主張したらしいが、我々も真摯に『本物とまがいものの文學を峻別』しなければならないのかもしれない。其処から丸山健二いわく『ようやく入口にたった文學』が濫觴し、『真文學』が夜明けをむかえるかもしれない。

 孰れにせよ、『作者が死んだとき読者も死ぬ』のであって、『文學は死んだ』というとき、『文學は死んだという評論そのものも死んでいる』ことをわすれてはならない。

愚生の一人称はなぜ『愚生』なのか

 愚生の『愚生』という一人称に違和感をおぼえるかたもおおいだろう。
 くだらないはなしかもしれないが、一応、ここで説明しておきたいとおもう(統合失調症の治療には執筆などの創作活動が有効だと識ったので、無駄話であっても積極的に書いてみたい)。

 現代において、男性の一人称は、『ぼく』がおおいのではないかとおもう。大森望は、翻訳家として、『むかしの老人は自分を儂とかいっていたけれど、最近では、自分をぼくと呼ぶ老人もおおいので、若者と区別がつきにくく、翻訳でリアリティをだすのにこまるようになった』というようにのべていた。

 ネット上では、自分を三人称で呼んだり、ネットスラングをつかったりと、もっと多彩だとおもわれるが、さすがに『愚生』と自称しているかたを見たことがない。ゆゑに、『愚生なんてださい』『気色悪い』とおもわれるかもしれない。が、ともかく、愚生は『愚生』を気に入っていて、理由もそれなりにあるので説明しておきたい。

 まず、素直に愚生が中卒で、知能指数が97程度という理由がある。まさに『愚かな生き物』である。(知能指数閉鎖病棟に入院中にうけた、本格的なウェクスラー検査での結果である、検査当時は、検査室内にわらいごえがひびいていたり、院内で祭り囃子が響動めいていたりという幻聴があって混乱していたので、どこまで正確な結果といえるのかはわからない)

 つぎに、曩時の筒井康隆が『小生』という一人称をつかっていたことが面白かったからである。過激で傲慢な内容の随筆のなかで、一人称ばかりが『小生』と慇懃無礼なところが魅力的だったのだ。そこで、愚生も『小生』という一人称で書こうともおもったが、たんなる筒井康隆の模倣ではつまらないし、個人的に、画数のおおい漢字がすきなので、『愚生』をえらんだ。

 慇懃無礼といえば、俳人高浜虚子が、当時から、『虚子なんて筆名なのに、まったく謙虚ではなく、高慢な人物である』と評されていたという何某かの随筆を讀んだことも関係している。愚生は俳句が苦手なのだが、虚子の『怒濤岩を噛む我を神かと朧の夜』という一句は、解釈によっては、一種の誇大妄想的なイメージをわかす。愚生も『愚生』といいながら大仰なことを書きたいとおもった。

 そんなこんなで、愚生は『愚生』になったのだ。
 破家破家しいはなしにおつきあいいただき、まことに感謝いたします。

小説家文章力ランキング~世阿弥の九位と世界文學

 個人的に、世阿弥が藝のレベルを九段階に分類した『九位』という概念に興味をもっていた。これで、文學作品も評価できるのではないかとおもったのである。九位は、『論外』とされる鹿鉛風から、強鹿風、強細風、浅文風、広精風、正花風、閑花風、寵深花風、妙花風までに分類され、広辞苑に簡略な説明がある。
 以下、各段階の説明とともに、無知蒙昧ながら、愚生が髣髴する作家、および作品群を臚列したい。今回は、あくまでも『文軆』『文章力』のみを基準に品隲したにすぎないので御注意いただきたい。

   ◇

【第九位 あらくなまった『鹿鉛風』は論外である。】

――代表的作品
  ブコウスキー『パルプ』
  愚生九頭龍一鬼全作品

――コメント
 ブコウスキーは、躬自ら『最悪の文軆』を目指していたと標榜していたはずなので、寧ろ、此処に列挙されることは光栄であろうと判断した。愚生自身は『讀みやすく美しい』文軆、畢竟、装飾体と平明体の止揚的文軆を追窮した結果こんなになった。

【第八位 強くあらい『強鹿風』も論外である。】

――代表的作品
  セリーヌ『夜の果てへの旅』『なしくずしの死』

――コメント
 セリーヌは判断がむずかしい。反藝術としての藝術だからだ。大江がセリーヌを讀んで『此処に一般国民の文軆があった』と感動したらしいが、一見、藝術的には論外な、一般国民の文章にも価値をみいだしたところに価値があると判断する。

【第七位 強い中にこまやかな『強細風』も目標ではない。】

――代表的作品
  サド『美徳の不幸』『悪徳の栄え』『ソドム百二十日』
  サルトル『嘔吐』
  大江健三郎万延元年のフットボール
  フォークナー『八月の光』『サンクチュアリ
  ガルシア=マルケス百年の孤独
  中上健次枯木灘

――コメント
 サドは澁澤訳では美文だが、原文は悪文で有名なので、他者の訳もふくめると、矢張りこのあたりかとおもわれる。サルトルと大江の文軆が類似することはいわずもがなとおもわれるので、此方にまとめる。フォークナーは『響きと怒り』においては『是非善悪をこえて自由自在な藝風を示す藝境』である寵深花風にあたるかとおもわれるが、基本的に悪文である。フォークナーに私淑したガルシア=マルケス中上健次も此処にあげる。其其のファンには失礼だとおもったが、愚生は斯様な悪文もだいすきである。ゆゑに御容赦いただきたい。

【第六位 初学者は芸歴の浅さの中に美を示す『浅文風』を志すべき。】

――代表的作品
  プルースト失われた時を求めて
  メルヴィル『白鯨』
  三島由紀夫豊饒の海』四部作

――コメント
 プルーストメルヴィルや三島が浅文風だというと激昂されそうだが、ロラン・バルトのいうところの仏蘭西革命的エクリチュールとは、総体的に、装飾に耽溺しているところがあり、『多彩を洗い去った物静かな美を示す』閑花風にはあたらないと判断した。寧ろ、このあたりをみると、九位で文學を評価するのに無理があることが証明されかねない。

【第五位 物まねなどを体得して『広精風』に上る。】

――代表的作品
  クノー『文体練習』

――コメント
 クノーは『是非善悪をこえて自由自在な藝風を示す藝境』である寵深花風に分類されるかともおもう。読者諸賢の慧眼に判断をゆだねたい。

【第四位 観客の感動を呼ぶ正しい花を開く『正花風』で藝が安定する。】

――代表的作品
  バルザック『人間喜劇』作品群
  トルストイ戦争と平和
  ヘッセ『車輪の下
  森鴎外山椒大夫」「高瀬舟

――コメント
 鴎外は平明体で書かれた短篇二篇をえらんだ。個人的に、鴎外の最高傑作は「阿部一族」だとおもっているが、こちらは、愚生と同様、装飾体と平明体との融合、つまり、『難読語をもちいながら修辞法はつかわない』という倒錯的文軆で、第九位『鹿鉛風』か第八位『強鹿風』にあたるとおもわれる。デビュー爾時の文語体は美文だが、三島らと同様の理由で、第六位『浅文風』にあたるだろう。其処で、九位の定義ではもっとも高位である『正花風』に臚列しておく。

【第三位 『閑花風』は多彩を洗い去った物静かな美を示す藝境】

――代表的作品
  ジョイス『ダブリン市民』

【第二位 『寵深花風』は是非善悪をこえて自由自在な藝風を示す藝境】

――代表的作品
  ジョイスユリシーズ

【第一位 『妙花風』はどこがよいと指摘できない言語を絶した美を示す藝境】

――代表的作品
  ジョイスフィネガンズ・ウェイク

   ◇

 斯様に列挙すると、ジョイスの作品群が、見事に、発表順に上位三段階をかけあがっていることがわかる。論理的に、これをもって、九位による文學論が証明されるとはいえないが、読者諸賢の参考になればとおもう。