Kindle作家九頭龍一鬼(くずりゅうかずき)の人生と意見

自著の紹介やそのほかいろいろをおとどけする予定です。

なぜ自殺してはいけないのか~現代の奴隷制と自殺願望

 輓近、自殺情報系のYouTubeを劉覧していたら、元基督教徒であった配信者が『なぜ基督教で自殺が赦されないかというと、大事な収入源である奴隷が自殺しないため』という考察をしており、愚生は『なるほど』とおもった。前述した『すべての道徳は支配階級のために存在した』というエンゲルスのことばにも共鳴するのではないか。此処において、宗教は金持ちが貧乏な奴隷を生き地獄からのがさないための『道徳』だったのである。

 といえども、恁麼の配信者の発言には疑問がのこる。まず、基督教で自殺が赦されないのは、新約聖書ではなく、猶太教時代の旧約聖書における十誡が論拠とされているであろうことである。そもそも、奴隷制は邃古希臘を中心として、邃古羅馬帝國や濫觴期の亜米利加合衆国で適用されていたが、おそらく猶太人は、埃及時代に奴隷とされていた可能性はあっても、『猶太人自軆が支配者であった』歴史というのは毫釐しかないのではないか。

 つまり、奴隷がわにちかい猶太人が『奴隷を生き地獄に幽閉するため』に自殺を悪とするわけがないのである。とはいったものの、『支配階級が被支配階級を自殺させないため』に『宗教を利用』してきた可能性は充分にある。此処で、語弊を厭わずに『宗教』を『道徳』と換言すれば、現代日本でも『企業が社員を自殺させないため』に利用されているといっても過言ではないだろう。

 やや、はなしはずれるが、そもそも、『なにゆゑに人類文明では支配階級と被支配階級というヒエラルキーが存在するのか』は、『収奪』という現象によって説明できる。邃古希臘あたりは、歴史的資料が毫釐なので判断がむずかしいが、『資本論』によると、資本主義社会が成立する過程にはかならず収奪が存在するという。

 元外務官僚で露西亜現代史に造詣のふかい佐藤優は、『ソ連崩壊後の露西亜でまさに資本論に書かれていた収奪をみた』という。レーニンからスターリンへと権力が委譲され、世界革命から一国革命へと転向して大崩壊したソ連だが、崩壊爾時の国内では、国有資本を民間資本に遷移せしめるがために、貨幣のかわりの『民営化証券』が発行されたという。すると、これから到来する資本主義(結果的には修正資本主義=社会民主主義だろうか)露西亜国内で金持ちになるために、民営化証券をぶんどろうとして、日常的に殺人、暗殺、マフィアの跳梁跋扈などが発生したという。このような過程が、資本主義を成立させるための『収奪』である。

 いったん、収奪の時期がすぎると、資本主義は安定した『階級制度』となる。読者諸賢の実感しているとおり、金持ちの子は金持ちになるので、階級制度は無限の連鎖をつづけてゆく。日本史にまったく魯鈍な愚生だが、極端にマクロ的にみてみると、近現代の日本人の階級は、たとえば、関ヶ原の戦いで『武勲をあげたものと、活躍できなかったもの』を幕府が階級化し、この五百年くらい曩時の階級が、さきほどの無限の連鎖をおこしてできたものなどとかんがえられる。

 無論、明治維新前後で士農工商の階級制が廃止され、両次世界大戦直後に日本国内ではあきらかにハイパーインフレがおこっていたので、幾層かの歴史を閲して、あるていどは階級制が流動化していただろうが、すくなくとも、数百年、数千年規模で盤石たらしめられてきた階級制の連鎖から、現代のわれわれが脱出することは不可能にちかい。

 閑話休題。かなりとおまわりをしたが、斯様にして階級化された現代社会の奴隷制のなかで、奴隷たるわれわれが自殺志願者になるのは自然なことである。畢竟、邃古希臘の奴隷たちが自殺志願者であったであろうこととどうようである。否、千状万態の知の体系が構築された現代では、この奴隷制度が明鬯であるがこそ、われわれの絶望は鬱勃たらしめられるのである。

 今回は、自殺情報系YouTuberからの着想で、奴隷制から自殺願望について考覈してみたが、無論、自殺願望は複雑な構造をもっているので、奴隷制以外の要因もたくさん存在する。斯様にまわりくどく書くのは『カクヨム内では規定によって自殺を推奨する記事は書けない』からである。此処では、いちおう『愚生は自殺志願者だが、自殺を否定も肯定もしない』ということにしておく。

 斯様に不条理な自殺志願者奴隷制のなかで『自殺志願者の愚生』が、『なぜいまだに自殺していないのか』ということを総括として書いておきたい。個人的に決定打となったのは、カミュの『シーシュポスの神話』である。『哲学であつかうべき問題は自殺しかない』という有名な自殺論である本書において、カミュは以下のようにかたっている。『現代ではだれもが人生は無意味だと識っているが、其処で、自殺をするということは、この不条理=くそったれの世界を『肯定』することになる』のである。つまり、『この不条理の世界に敗北しないためには、『どんな生きざまでもよいのでただ生きる』』ことなのだと。どんな屑でもいい。どんな破家でもいい。無職でも童貞でも中毒患者でもいい。『そんなおれたちをくるしめる『世界』への復讐として『生きる』』のである。 

 とってつけたような論考だったが、最後に、自殺肯定論者にはシオランの『生誕の災厄』か、新書の『生まれてきたことが苦しいあなたに』を、自殺否定論者には前述の『シーシュポスの神話』をおすすめしたい。