Kindle作家九頭龍一鬼(くずりゅうかずき)の人生と意見

自著の紹介やそのほかいろいろをおとどけする予定です。

新人賞の不都合な真実②~プロとは何者なのか

 前回に揮毫したとおり、新人賞の予選通過率、受賞率は見事にパレートの法則に支配されている。
 畢竟、たんなる確率の問題なのである。

 では、プロとアマチュアを乖離させるものとはなんなのか。

 プロは、一回や二回の応募で新人文学賞を受賞したというパターンがおおいが、前述のとおり、新人賞を物理学的に確率論で俯瞰すると、恁麼のプロは宝籤で当選したにすぎないといえる。
 今年の宝籤で一等に当選した人間が、来年の宝籤でも一等に当選できるかという問題である。

 文學賞では、受賞歴なども考覈されることがあるので、露聊か確率はあがるかもしれないが、『プロの小説家が無名の作家とおなじ条件で新人賞に応募したら矢張りパレートの法則どおりに8割方は一次落ちする』とおもわれる。

 愚生のように、パレートの法則に支配されながら、数十回も応募をくりかえし、数十回も予選落ちしていれば、ほとんどのアマチュアは蹉跌する。
 其処で、一回や二回の応募で『当選』したものだけが顛蹶せずに生存してゆく。
 プロになってから、百年河清を俟って、ふたたび新人賞に応募する人物もいるが、基本的には、『一回当選すれば半永久的にプロとよばれる』がゆゑに、一回目や二回目の応募で受賞したものばかりが生存し、長年に亘って応募しつづけるほど、アマチュアは遯竄してゆくので、伏竜鳳雛の人材は無慙に淘汰されてゆく、という理窟は、容易に理解していただけるとおもう。

 貴方の応募作が一次落ちするのは、たんなる確率の問題にすぎず、僥倖にも受賞となった作品も、たんなる確率の問題にすぎないのと相違ないのである。

 次回は続篇として、量子論を骨骼とし、『なぜプロは凡人ばかりなのか』という問題を本格的に論証してゆきたい。